厳しさのやさしさ
今週のお題「思い出の先生」
小学校中学年の頃の担任、K先生。とにかくしつけ?が厳しかったです。
例えば授業中、発言している子の方へ「身体ごと向けて」話を聞くように!という指導。
みんなそのとおりにしていました。
翌年、クラスごと進級したときの新しい担任先生がぶったまげたくらい。
(その新しい先生はユルかったので、スパルタな習慣はあっという間に消えました)
高学年になったころ、その厳しさが現場か保護者かの間で問題となり、K先生が校内で微妙な立場に置かれてしまった記憶があります。当時もうっすら「そりゃありうるだろうな」とは思いましたが、あれは体罰ではなかったです。
K先生が厳しかったからなのか、その時のクラスは生徒同士がまとまっていました。
「厳しかったな」というだけで「つらかったな」というイメージはどこ掘り返しても無いですもん、今でも。
体格が良くなってもまだ、着れるふく
先ずは、里帰りから無事もどりました。
thanks!
途中大雨!に振り回されましたが、まあ仕方ない。
んで、ネットで騒がれてるんだろな〜と思ってたらやっぱり騒がれてました。
これ。
わたしも偶然見ることが出来ました!二重虹。
なにはともあれ、あかるいニュースは良いことです。
さて、表題。
以前、わたしの体重が今ありえないことになっていることは書きました。
それでも肥える数年前に買ったのに未だ着れる「謎のメーカー」があるんですよ。
緑のスプリングコート。
確か1万超えで、洋服に金を掛けないわたしとしては高い買い物でした。
ですが着倒して、完全にモトは取りましたよ。
「 PAR ICI」・・・これのサイズFREEだったのかな?
肥えるって、下半身は増えやすいし諦めもつきやすいんですけど(だめ)、
上半身が大きくなるのは結構、堪えるんですよね。洋服総取り替えとか。
着てみてダメだったら返品出来るのかな・・・久しぶりに買ってみようかな。
以上、女子なのか何なのかどうでもいい投稿でした。
そうこれが、当ブログの通常形態ですから。
ほんとうの一人カラオケ
貴重なお時間を割いてくださり、ありがとうございます。
やっと里帰りの日常にも慣れてきた夕べ。
父親がいそいそとコレを出し、テレビにつなぎ始めました。
都会ならうるさ過ぎて騒音問題に発展すること間違い無しなのですが、此処は田舎。
隣家との距離があるので、よっぽどの音量でなければだいじょうぶなのです。
うえに紹介したこれ。デフォルトで300曲入っていて、その後お金を払って好きな曲を追加していくビジネスみたいです。業者さんにより多少売り方は異なるにしろ結局は一曲100円です。300曲も入ってるんだし追加なんて、と思いますが・・さだまさしなのに「北の国から」(←ハミングだけの曲)しか入っていないことで、どういうことだかお察しください。
小林旭を表宣伝に出すくらいなので、家庭のテレビでも調整すればなかなか本格的に楽しめました。
飽きてつかれたのか、途中から父親は居なくなり、わたしだけ取り残されました。ふるい曲をうろ覚えでうたいました。
ひとりでうたおうカラオケの輪!
すぐ眠くなりました。
おはかからノーコツドーへ
お掃除とおまいりしてきました。
お墓は数年ごとに行ってるので「相変わらずたくさんの人が入ってるなあ、もうこれ以上はパンパンだよね〜」とか、年月日を見てわたしが産まれる前になくなったひとの方が多いよ〜、でも此処に在るのはその人たちが利用してた物質の骨組みだけで今はみんなで酒盛りとかしてそう・・・てかホントなにしてんだろ、其処にあなたは〜居ません〜♪よね、とか思いました。
ノーコツドーは初めて行きました。本当にコインロッカーみたいです。表現に誤解が生じそうですが別に良し悪しは述べてません。そんな時代なんです。わたしがお世話になった方なので許しをもらってその壺をあけておこつを見せてもらいました。感想は出てきませんでした。ただ、わたしも焼かれたらこうなるんだな、でした。生きてる側からするとたすかるかもだけどわたしだったらずっと此処にいるのはさみしいかも、でもここに〜わたしはいません〜だからやっぱり生きてるひとに都合良ければ良いか、現にこうしてわたしも来れてるし、と、壺の蓋を閉じて棚にしまって鍵をかけました。
そのあと買い物に行ってお昼ご飯を食べました。さっき久しぶりにノーコツドーで会ったひとと何度か来たことがあるショッピングセンターでした。しんだら終わりでもないけどやっぱり一応終わりみたいだから、わたしの場合そこまで長いか短いかわからないけど、自分の思ったように生きようと再度かみしめました。
方言の通訳・意思の疎通
目下里帰り中でございます。
もうなくなりましたがわたしの父方祖父母は方言plus訛りがキツく、子どものころ夏休みに帰省した際は、父親かいとこの通訳を介さないと、なにを云われているのかわかりませんでした。さながら外国語・・・いや、英語の方がわかるかも。
かろうじて聞き取れるのは「わたしの名前」「疑問形か否か←これは少しあやしい」だけ。
わたしが成人してからも何度か会いましたが、祖父母の加齢もあいまって、最早話しかけられているのかも不明瞭に。
血の繋がった祖父母なのに、何度も会っていたのに結局、最初から最期までナマの会話、意思疎通が取れなかったというわけです。だからどういう性格の持ち主だったのかも知れぬまま。ちょっと感慨深いです。
ひとはかえられない
あんまり軽くないテーマですが
時間ないのでさらっと
愚痴ではありません
ここ十年間のわたしの課題は
「ひとは変えられない」
「変えられるのは、じぶんの今と未来だけ」
それを実感する情況に放り込まれ
なんども絶望し続けることでした
それを知らなかった二十代後半までは
それなりに大変でしたが
まだまだあまちゃんで身勝手でした
いまも身勝手なのは変わらないけど
ひとのせいにしないために自分で決める
絶望したぶんひとと自分を分けて考える
一緒くたにしない
ひとはひとの勝手があり
わたしにはわたしの勝手がある
わがままと同じかもしれないけど
きっと違うと思いたい
文句いう暇あったら自分でやって
努力してもかなわないことがあり
いつどうなるかわからないこの身
だから世の中に自分をぶん投げて
そん時そんとき自分で決めてこう